使徒の働き28章15~16節、30~31節
「少しも妨げられることなく」
15,ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが、アピイ・フォルムとトレス・タベルネまで、私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
16,私たちがローマに入ったとき、パウロは、監視の兵士が付いてはいたが、一人で生活することを許された。
30,パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
31,少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
使徒の働きの最後の言葉に注目。壮大な世界宣教の働きを締めくくる言葉。
少しもはばかることなく(大胆に)、妨げられることもなく、神の国とキリストを伝えた。
これは考えさせられる言葉。妨げられることなくと書かれているが実際は妨げられているのではないか?パウロは自費で借りた家に住んでいたが、16節を見ると監視の兵士が付いていた。自由に行動できない軟禁生活。世界を飛び回ってキリストを伝えていたパウロが小さな一つの家に閉じ込められている。
しかし、方法があった。30節「訪ねてくる人たちをみな迎えて」
1.15節を見ると、ローマにはすでに弟子がいたことが分かる。詳しくはローマ16章に多くの名前が記されている。パウロ自身はそれまでローマに来たことはなかったが、今までの宣教旅行で出会い、忠実な弟子となった多くの兄弟姉妹がローマにいた。
2.17節、ローマで出会ったユダヤ人たち
パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めた。自分が行けないので呼んだ。22節を見ると彼らには聞く耳があった。噂だけで判断する人が多い中、良い心を持っている。しかし、確実な弟子が出てきた様子もない。煮え切らない。24節を見ると、受け入れた人もいるし受け入れない人もいた。それで、今後は異邦人宣教をメインに進めることになった(28節)。
3.カエサルの家の者
ピリピ4:22を見るとカエサルの家の者に弟子がいたことが分かる。
4.いつもパウロの側にいた中心的な弟子たち
ローマに住んでいた人ではなく、いつもパウロと行動を共にしていた弟子たちがいた。
獄中書簡といわれるエペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンはローマで書かれたと考えられる。また、第二テモテもローマで書かれたと考えられる。その書簡にパウロと共にローマで働いた多くの弟子の名前が記されている。
オネシモ(獄中で産んだわが子)
アリスタルコ 囚人
エパフラス 囚人
マルコ・ヨハネ 宣教旅行の途中で帰ってしまった人、バルナバと喧嘩別れする原因になった人
ユスト・イエス
ルカ
デマス
ティキコ
5.ティキコをエペソ(エペソ6:21-22)にコロサイ(4:8)に送る。
「ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って心に励ましを受けるためです。」ティキコのような弟子を通して全世界の教会を牧会していた。
今、コロナでいろいろなことが制限されている。先々週の説教では、パウロが囚人でありながら船に乗った276人のリーダーになったことを見た。ヨセフは奴隷でありながらポティファルの家全体を任された。私達は状況に左右されたり、自分の考えで小さくなったり、才能を見てあきらめたりしやすい。しかし神様は、それらを超えて働かれる。み言葉の約束があって、その成就がある。だから自分の状況は関係ない。むしろ、難しく見える状況であれば、そこにこそ答えがある。イエス様は、そのために貧しいヨセフとマリヤのもとに生まれ、ガリラヤの漁師たちを弟子にした。軟禁されても世界宣教。体が動かなくなってベッドに寝た切りになっても死ぬ直前まで世界宣教。
どんな状況でも少しも妨げられることなく神様の働きを行う皆さんであるように。
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