イスラエルの土地は葡萄の栽培に適しており、イスラエルを葡萄畑に例える話は聖書の中にたくさん出てくる。
神様がすべて用意して期待されたのに、酸いぶどうができてしまった。
2 酸い葡萄 野ぶどうと訳されているものもある。悪臭を放つ葡萄、腐った葡萄。
5-6 滅びるままにされる。(ヨハネ福音書15章1-11節)刈り込まれて手入れをされるか、滅びるか。
7節 公正(ミシュパト)を望まれたのに流血(ミスパハ)
正義(ツェダカ)を望まれたのに悲鳴(ツェアカ)
「わざわいだ。」ということばで、糾弾されている6つの罪
・8わざわいだ。家を連ねて、畑を隣り合わせて強欲に走る
10ツェメド 人くびきの牛が一日かかる広さX10 → 1バテ 23L
1ホメル 230L → 1エパ23L
・11わざわいだ。強い酒を追い求めるもの。音楽と酒は悪いものではないが、制限できない状態。
知識がなくて捉え移される。いちばん大事な霊的知識がない。
キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているコロサイ2:3
15 人間は低くされる。しかし16 主は高くされる
17 街は廃墟となる
・18わざわいだ。19 神を認めない高ぶり。
・20わざわいだ。 価値観がひっくり返っておかしいと思わない。
・21わざわいだ。 自分は知恵があるとの高慢。霊的知恵がない。
・22わざわいだ。 -23 賄賂を取ってさばきを曲げ、酒に溺れるリーダー達。
24-25 神様が裁かれる。 山々は震える。(天災)
26- 外国から強い軍隊が来て容赦なく滅ぼされる。(戦争)
直接的には、神様から離れて、神様が願ったようにならず、偶像崇拝、流血、悲鳴、貪欲、高慢、堕落に陥って、混乱したイスラエルの国に対する警告です。30節のその日というのは、722B.C.アッシリアによるイスラエル王国の滅亡、 586B.C.バビロニアによるユダ王国の滅亡。
大きく根本的には、創世記3章の問題。エデンの園を整えて、神の栄光を表すことが期待されていたのに、神から離れ、悪魔に従い、罪と混乱の中で滅びるようになった。
また、教会時代にも当てはまる。キリストを受けいれた国が繁栄するようになったのに、キリストからずれてきたり、強欲や不正が蔓延して、混乱の中で滅びてしまう。
今週、私達の生活が豊かで上質な実を結ぶ葡萄園になるようにイメージしていこう。神様の願い、期待、方向性に沿う。
このぶどう畑のたとえは新約聖書でさらに明確なメッセージが語られる。例えば、マタイ21章の33節から。ぶどう畑を預けた農夫たちは、主人が遣わしたしもべや息子つまりキリストを殺してしまう。
また、ヨハネ福音書15章1-11節。実を実らせるということでプレッシャーを感じるかもしれないが、キリストとつながること、神の愛と喜びの中にとどまることが強調されている。そういう状態にあるなら自然に良い実を結ぶ。
みことばと祈りとミッションに祝福があるように。神様のみことば、願い、神の力に集中して正確な導きがあり、神様の働きを体験するように。
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